修業時代と運命の店
テーブル・トーク 長谷川 幸太郎氏インタビュー
2002年にオープンした丸ビル最上階にあるレストラン「サンス・エ・サヴール」料理長、長谷川幸太郎さんのインタビュー第2弾。 修業時代の苦労や運命の出会いともいえるお店など伺いました。
さて、いよいよ夢かなってフランスへ。フランスでの修業時代のことを教えてください。
いきなり苦労の連続!働く場所が決まっていたわけじゃなかったから、まず、使ってくれるレストランを探しです。といっても、フランス語はまったくできませんでしたからね。まず、言葉のできる友達に手紙の書き方を教えてもらい、ミシュランの星つきレストランに片っ端からエアメールを送りました。返信用の切手をつけて。結構、返事はくるものなんですよ。ただし、「今は欠員がいないからNO」とか、「来てもいいけど給料はゼロ」とか「フランス語を話せないならダメだ」といった返事ばかり。その中で唯一、給料を出すと言ってくれたのが、最初に勤めたブルゴーニュのレストラン「ジャルダン・デ・ランパール」だったのです。すぐにフランス語のできる友達に電話してもらい、荷物をまとめて渡仏しました。
初めて、本場のフランス料理を見たとき、どんな印象を持ちましたか?
最初に感じたのは、何もかもが適当だということ。悪い意味でね。魚のおろし方は汚いし、料理についても「何やってんだ?」みたいなのが多くて。でもね、後でわかることなのですが、そんな風に感じたのは、すべて僕の未熟さゆえのことだったんです。当時の僕は、日本でひととおりやってきたというプライドだけが大きくなっていた。「もっと僕を見てくれ!」という気持ちばかりが前に出ていた。でも、僕がやってきたことは、日本という島国の中のフランス料理にすぎなかったのです。それに気づかせてくれたのは、お世話になった恵比寿の「カーエム」のシェフからの1通の手紙でした。あるとき僕は、シェフに手紙を出しました。「フランスなんてたいしたことない」「シェフの料理のほうがおいしいです」って、フランス人の悪口をいっぱい書いてね(笑)。すると、いつもおだやかなシェフからこんな返事がきた。「それは間違いだ。その店が存在している以上、必ずいいところがある。それを多く発見できた人が勝ち残れるんだ」って。「そのために、楽しいと思える時間を作りなさい」とも書いてありましたね。その手紙で僕はガラリと変わりました。とにかく前向きになりました。「調理場はシェフのものなのだから、自分が疑問に思うことがあってもシェフの思いに応えよう」と。そんな気持ちになったら、それまで見えてなかったものがいろいろ見えてきましたね。
以後、フランス国内の数々の星つきレストランを渡り歩かれたそうですね。そして、運命の出会いともいえる「ル・ジャルダン・デ・サンス」に入られることに。このお店との出会いは、どのようなものだったのでしょうか。
南仏モンペリエにあるこの店は、ジャック&ローラン・プルセルという双子のオーナーシェフの店。オープンして間もなく3つ星をとったということで、大きな話題を集めていました。お客さんとして食べにいったとき、単純にとてもおいしかった! そして、クラシカルなフランス料理がベースで、それを現代風にアレンジしているところが、僕の目指している料理と同じでした。さらに、料理だけでなく、音楽、カトラリー、サービス、窓からの風景、そして会話など、すべての要素で食事を楽しませる"ガストロノミック"というコンセプトを貫いている。そこに大きな魅力を感じました。ところが!実際に厨房に入れてもらうまでに1年かかった。手紙は10回以上、電話も何回もかけたのですが、「今は欠員がない!」の一点張り。1年後、たまたま欠員が出たとき連絡をとり、やっとOKが出たんです。
「ジャルダン・デ・サンス」には1年間いらっしゃったそうですね。
そのときは、すでに厨房スタッフとしてのスタンスを僕なりに確立していましたから、仕事は非常にスムーズでしたよ。最初はいちばん下の料理人ですから、先輩からいろんな指示がくるんですが、僕はトップのシェフしか見ない。だって、先輩が必ずしもシェフの要望を理解しているかというと、それはありませんでしたから。シェフが望むことを確実にやって見せているうちに、シェフもすぐに僕のことを認めてくれるようになりました。ときには先輩たちに、「コウタロウの言うとおりにやれ!」なんて言うことも…。先輩たちは「何だ、この日本人!」って思っていたかもしれませんね(笑)。そんなある日、東京にこの店の姉妹店をオープンする話が舞い込んできた。プルセルの推薦があり、僕はチャンスを生かすべくフランス修業を終え、帰国することを決めたのです。
そして、2002年、オープンしたばかりの丸ビルの最上階にあるレストラン「サンス・エ・サヴール」の副料理長、そして料理長に。昨年1月には、フレンチの国際大会「ボキューズ・ドール国際料理コンクール」に出場され、日本人初の6位入賞とアイデンティティー賞を受賞されました。
あのコンクールでは、ちょっと作戦を練りすぎた。昨年のコンクールから、各国のアイデンティティーが評価ポイントに加わることになったんですね。それで、和の食材や和テイストの食器を使った料理で勝負しようという作戦で行くことになったんです。それが賛否両論分かれました。フランスやノルウェーなど、フレンチの本場の国の審査員に受けたのですが、アルゼンチンやアフリカの審査員は「これは和食じゃないか!」と、低い評価しかつけてくれなかったんです。そして、6位という結果に。実は、僕自身は和の食材を使うのはあまり好きじゃないんですよ。ときに日本の食材を使うことはありますが、あくまでクラシックなフランス料理のスタイルを崩さない。それが、僕の一貫して貫きたい方向性なんです。ですが、当初私達の狙いは各国の独自性がコンセプトでした。アイデンティティー賞を取れたことは、結果として間違いでは無かったと思います。ただ、表彰台に上るには、やはりクラシカルの仏蘭西料理で勝負しないと駄目ですね!でも、僕にとってとてもいい経験になったことは事実です。


